第74話 お龍と川田雪山-2

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「坂本龍馬八十八話」

小美濃 清明

第74話 お龍と川田雪山-2

お龍もあわてて道を間違えたので引き返して戻っている。そして、
「町の角で五六人の捕手にハタと行き遇って何者だと云ふから私はトボケタ顔をして、今寺田屋の前を通ると浪人が斬ったとか突たとか大騒ぎ、私や恐くって逃げて来た、あなたも行って御覧なさいと云ふと、ウム人違ひぢゃったと放しましたから、ヤレ嬉しやとは思ったが又追ッかけて来はせぬかと悟られぬ様に下駄をカラカラと鳴らして、懐ろ手でソロソロと行きました。」
とお龍は語っている。その語り口がお龍の人柄をよく現していて面白い。
この聞き書の筆記者川田雪山も、聞いたままを筆記してこの後日譚についての責任は一切僕が引き受けますと書いている。この川田雪山について少し書く。
川田雪山、明治十二年(一八七九)高知県生まれ。通称は瑞穂(みずほ)。号雪山は高知市の雪光山(国見山)から取られている。明治二十八年十七歳で大阪に出て、漢学者山本梅崖の塾で漢学を学んだ。同三十五年早稲田専門学校政治経済科に入学。中退。大正五年維新史料編纂会嘱託となり、同十一年維史史料編纂官補となる。同十二年司法省嘱託となり、昭和五年早稲田大学講師、同十年早稲田大学教授。同十五年内閣嘱託を兼任。同二十五年早稲田大学を定年退職。同二十六年一月死去 享年七十三。
雪山が残した最も大きな仕事は太平洋戦争終戦の詔勅を起草したことである。昭和天皇が玉音放送で読んだ詔勅は、「堪へ難キヲ堪へ 忍ヒ難キヲ忍ビ 以テ万世ノ為ニ 大平ヲ開カムト欲ス」
と書かれており、荘重、典雅、文格自ずから具わり、王者の辞たるに愧(は)じないと評価されている。
この川田が若き日にお龍をインタビューしているのである。二十歳の川田は誠実にお龍と対話し、彼女の心を開いたのである。内容は彼の言葉通り一切責任を取るという正確なものと思われる。